目次
まずはじめに
皆さんこんにちは!
英数塾STfun野村教室教室長の背戸です!!
野村教室は今年の11月で開校3周年を迎えます!!
皆様のおかげで順調に生徒数も増え
数多くの生徒の成長を見守ることができ
非常にうれしい今日この頃です!
この3周年を迎えるにあたって
教室長を務めさせていただいております
背戸のこれまでの経歴と想いを
お話しさせていただきたいと思います!
小中学校
私は京都府亀岡市で小中高時代を過ごしました。
小学校時は
「とにかく勉強が嫌い」でした!!
学校から帰るとすぐに
ランドセルをおいて遊びに出かけ
宿題も全然しない少年でした笑
よく母親からは
「あんたの頭の中に勉強や宿題という文字はないのか!」
と言われていました笑
中学に入ってからはテニス部に入りました!
遊ぶ時間がテニスに置き換わり
部活がない休日でもテニスコートに行って
テニスばかりしていました!
テニスばかりして
勉強しない私を見かねて
「このままではマズイ」
と母親が思ったのでしょう
「あんた、とりあえずお姉ちゃんが入ってる塾に入り!!」
と言われ
姉が通っていた地元の集団塾に行くことになりました。
最初は嫌々通い始めましたが
そこで出会った数学と英語の先生の授業のわかりやすさに惹かれ
数学と英語だけは勉強するようになりました。
すると
英語と数学は平均点を超え
少し勉強の楽しさがわかってきました!
しかし
それ以外の科目に関しては
授業を聞かない
提出物を出さない
テスト勉強もしない
の3拍子で
学校の先生からは呆れられていました。
そんな調子のまま中学3年生になりました。
私はなんとなく
「高校卒業後すぐに働くのは嫌だなぁ」
と思っていました。
父親は
「大学までは学費を出してやるから必ずいけ!」
と言っていくれていたので
高校は進学校に行こうと考えていました。
しかし
それまでに嫌いなことを
辛抱してやり続けるということをしなかったので
受験勉強するときも
好きな科目ばかりを勉強して
飽きたらすぐにやめる
を繰り返していました。
得意科目は順調に偏差値を伸ばしていきましたが
苦手科目を全然勉強しなかったので
全体の偏差値が上がりません。
そして年明けの1月くらいに
中学校の担任の先生との面談で
「背戸が今の実力で行ける高校はここやなぁ」
と当時偏差値50くらいの
南丹高校Ⅱ類を勧められました。
※現在Ⅱ類はありません
「まぁここならほとんどの生徒が大学進学目指しているからいいっかぁ」
となんとなく決めて
特に頑張りもせず
(塾の宿題だけやる程度)
(勉強時間は1週間5時間程度←今考えるとヤバい)
受験をしました。
偏差値50くらいとはいえ
田舎の高校なので
その年は定員割れをし
なんなく合格することができました。
高校
高校では
「1年生からコツコツ勉強して、いきたい大学にいくぞ!!」
と思っていたのですが
いざ始まってみると
・科目数の大幅増
・毎日7時までの部活
・勉強の難易度UP
で家に帰ってから
苦手科目を克服するための勉強をすることは
ほとんどできませんでした。泣
さすがに定期テスト前には
部活が休みになるので
そこでは詰込みで猛勉強をしていましたが
テストが終わると
すぐに抜けてしまう体たらくぶり。
その結果
3年生になったときの
模試の偏差値は42くらいでした。
3年生の6月に部活を引退してそこからは
1日平均8時間ぐらい
勉強するようになりましたが
ただがむしゃらに勉強するだけで
そこに具体的な勉強計画がありません。
塾(某大手個別指導塾M)に通っていましたが
先生に言われるがままに問題を解き
解説を聞くだけで理解した気になり満足する日々。
そもそも
参考書を買わず
計画も立てず
塾のプリントをただやるだけ。
自分で復習することもなかったので
今思うと
実力がつくはずもありません。
それなのに
無謀にも
第一志望 同志社大学
第二志望 龍谷大学
第三志望 佛教大学
で出願しました。
各大学の過去問を
2、3年分解いてみただけで
合格点に到達することなく
入試を迎えました。
その結果
同志社、龍谷は落ち
なんとか佛教大学に通うことになりました。
今考えると
・計画を立てない
・復習をしない
・教材を完璧にしない
・過去問をやりこまない
という
STfunのやり方と真逆の受験勉強をしていました。
ただがむしゃらに頑張るだけでは
自分が望む結果は得られない
という現実を知った大学受験でした。
大学
佛教大学に入学してからは
4年後に安定した職に就きたいと思い
公務員になりたいなと思ってました。
「充実した大学生活」を送るために
行動しようと考え
2回生から
学内のプロジェクト(大学のマスコットキャラクタを作る)
に参加したり
3回生の時は
「東日本大震災のボランティア活動」で
現地に行ったりもしました。
高校時代にできていなかった
計画をたて行動する
という部分を
大学では克服したいと思っていたので
2回生のころから行動していましたが
根本にある気持ちは
「就活の時に何か喋れることを作っとかないとな」
ぐらいでしかなく
目的をもって行動ができていませんでした。
その結果
第一志望にしていた公務員にはなれず
民間企業のスーパーマーケットに就職することになったのです。
ここまでを振り返り
高校時代は「がむしゃらにでもやる力」がつき
大学時代は「計画をたて実行する力」がつき
少しずつ成長をしているように見えるものの
まだまだ足りないものが多い状態で
社会人になることになりました。
就職
就職してからは
目的意識を持ち
行動することができていたと思います。
どのような目的意識かというと
経費の削減をし
会社に貢献しよう
という意識です。
社員が3名いないと
運営できなかった店舗において
私がアルバイトを教育することで
社員が2名でも運営できるようにしました。
職場のメンバーにも恵まれて
8年ほど同じ会社で働き
責任者のポストに就くこともできました。
アルバイトの教育をする中で
「自分は教育に携わるのが好きだな」
と感じるようになりました。
特に印象に残っているシーンがあります。
それは大学の学費を稼ぐために
自分でアルバイトをしたいという
高校2年生が面接に来たのです。
そのまじめそうでまっすぐな瞳をみて
「よし一緒に頑張ろう!!」
と一緒に働くことになりました。
その子はとても不器用でしたが
なりたい自分や将来をしっかり持っており
そのために努力ができる子でした。
初めは不慣れな仕事も
何度も挑戦し
次第に
「次は何をできるようになればいいですか?」
と自ら聞いてくるようにもなりました
そんな向上心を持つ子と一緒に働く中で
「自分もこれからどうなっていきたいか」を
真剣に考えるようになりました。
その子は大学に進学し
学校の先生になるためにバイトと学業を両立して
学校の先生になる夢をかなえました。
スーパーでの立場は
私が上司でしたが
その子に影響され
「教育に専念できるような仕事をしたい!」
と思うようになり
塾業界への転職を決心するようになったのです。
スーパーで働きながら
転職活動をすることもできるのですが
誠実ではないと考え
スーパーを退職してから転職活動を始めました。
31歳無職
生きた心地がしませんでした!笑
しかも
一社目に応募した塾では
「契約社員なら」
と言われ
さらに入社直前で
「やっぱりなしで」
と言われました。
少しずつ
塾業界に対して
疑念を抱いていたのですが
英数塾STfunの存在を知り
ホームページを熟読し
ブログを熟読しました。
そこで初めて
自分の高校受験、大学受験で
足りなかったものを知りました。
自分と同じように
間違ったやり方をしている子どもたちは
まだまだ多いはずです。
STfunに入社して
指導がしたいと
心から思えるようになり
満を持して応募しました。
面接を通して
さらにここで働きたいと
想いが膨らんでいきましたが
「今のままでは採用できない」
と言われてしまいました。
「また不採用か」
絶望的な感情に苛まれた束の間
「想いは伝わったからできたら一緒に働きたい。
でも不器用なのが伝わってきて
特に、笑顔で生徒に接するのが何より大切なので
笑顔で指導できる練習をしてほしい」
と代表の藤間から言われました。
そこで
LINEを交換し
笑顔を意識して英文法の授業をする動画を自撮りし
藤間に送り
ダメだしをもらい
それを3回繰り返したのちに
「再度面接しようか」
と言ってもらえました。
無事STfunに入社でき今に至ります。
さいごに
私は自分でも不器用な人間であると自覚しています。
また
まだまだ自分自身
発展途上だと思います。
しかし
自分のしくじった経験を経て
生徒を成長させたい
生徒に幸せになってほしい
心からと思っています。
想いだけではダメかもしれませんが
想いだけは絶対に負けません!
なによりも
生徒が成長してくれて
その生徒の笑顔をみられる
この仕事が大好きです!
これからも
一人でも多くの生徒を成長に導き
一緒に走っていきたいと思います。